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2005.05.16

西郷隆盛の隠し子が台湾にいた?

 先日、台湾大学の図書館で、卒論資料の収集のため、日本統治時代の古書をあさっていたら、面白い本を見つけたので、コピーしてみた。

題名は「西鄉南洲翁基隆蘇澳を偵察し、『嘉永四年南方澳に子孫を遺せし物語』」。西暦1935年、 昭和十年の出版された本で、この西鄉とは西郷隆盛のことで、後に台湾出兵に関与した弟の西郷従道ではない。

本書の序章の一節で、なぜ当時西郷隆盛が台湾にいたのか、以下のように説明している。

 西郷吉之助隆盛卿、嘉永四年、御歲二十五歲の春、君命を奉じ沖縄群地を連ねて南下し、 台湾北部を偵察した時.....
 はからずも、暫じ南方澳の漁舎に侘び住まいのその折に、縁りなす、名艷に奇しき由縁を結びしより、 そこに子孫を遺せし史実である......
 世は、徳川幕政下にありて鎖国時代なるを以って、公然海外関係を許さざるの時である.....明治元年より十七年の昔、西郷吉之助、 がなぜに台湾に来たか、
 名君島津斉彬の経論は、早くも内外に動いた。当時、南方諸島は欧州人の侵略する処となり、 自然その魔手のわが国に及ばん事を憂い給い..
 機先を制せんとする一歩の長、正に台湾を占領せん事を企てた、その前提工作として、 秘かに腹心の吉之助をして遠くこの地に偵察せしめたのである。<中略>

 吉之助渡台その直子孫…吳龜力の北浜に存在せる事実を究明して以て、考古これを上梓せらし所以なり。

 ようするに幕末、薩摩藩は台湾占領を計画し、その偵察として、西郷隆盛を派遣した。その最中、 現地の女性と知り合い、その女性が子供を孕み、その子孫が現在台湾に現存していたので、取材に行きましたとの事。

本書には、一応西郷隆盛の直孫とみらる吳龜力の写真が載せられている。

 幕末、西郷隆盛が台湾を訪れ、その子孫が台湾にいた!! というのは少し奇天烈な話なのだけど、当時、 まことしやかに話された噂話の一つだったようである。
 それで、この本の筆者がその事実を確かめるべく、取材の旅に出かけ、 とうとう西郷隆盛の子孫と見られる人物を漁村にて見つけましたという今で言う「ドンデモ本」の一つかもしれないが、面白かったので、コピーしてみた。
西郷は西南戦争で自殺した後も、判官贔屓もあり、庶民には人気があった。そのため、こうした噂話が生まれたのかもしれない。また当時日本は、日本が国際連盟を脱退し、国際社会から孤立し、軍国化が進んだ時期でもあった。そうした歴史背景下で、ひとつは日本が幕末期から南方への進出を計画していたということを強調し、一つは西郷の隠し子が台湾にいたと主張することで、日本と当時植民地だった台湾との関係を強調する意味があったのかもしれない。
 この本に出てくる吳龜力が本島に西郷の孫かどうかは、かなり怪しいが、ただし西郷が実際に25歳前後に渡台したという説自体は以前の日本の新聞記事でも紹介された事はあったと思う。

目次のコピー


「1_004.jpg」をダウンロード

 

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コメント

お疲れ様です。

敬天愛人というセオリーを、これからも大切に生きていきたいと想ってます。

近県だったので学校の先生が西郷隆盛の写真を秘蔵していたのですが、坂本
竜馬みたいな細面で痩せていて普通の肩でした。九州各地に西南戦争のとき
の遺物が多く残っていますので、本物の写真かもしれません。

昔、孫文の隠し子のお婆さんがTVに出ていましたが、顔が孫文にそっくりでした。
日本留学中に日本人女性に生ませた子で、経済的な支援などは一切なかったと。

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